事を終え少しの間休んだ後、女は身を整えはじめた。しばらく遅れて男も上着をはおり、寝台から出て机の上の、先ほど飲んでいた茶をすする。すでに冷めて温くなっていた。そのままそれを飲みながら椅子に腰掛け、振り返り女を見る。すでに衣服を元の状態にした女は、手櫛で髪を梳いていた。細く白い指が美しい金の髪にからまり、少しずつほぐれていく様を男は眺めていた。
それに気づいた女は立ち上り、男の側へ来る。
「私にも少し頂けますか?」女は笑顔で頼んだ。男は表情を変えずに自分が持っていたカップを差し出す。女はそれを受け取り、口をつけた。少し渋い顔をしながら、女はカップを机に置いた。
「濃すぎて苦いですわ。」
「それぐらいの方が効く。」
そうなんでしょうね、と女は微笑んだ。しばし間ができる。
今更、と思いながらため息をつき、男は抱えていた疑問を女に投げかける。
「それで結局、わしに言っておきたかったこと、とは何だ?」
待ってました、とばかりにわざとらしく、女は言う。
「ええっと、どこからお話すればよろしいのでしょうかね・・・」
その女の態度に男はいつもの不機嫌な顔で睨みながら言う。
「あまりにつまらん話ならいらんぞ。」
「いいえ。絶対に、すごく驚かれると思いますわ。」自信満々に女は返した。その言葉を聞いた男は手を上げ、そばに立っている女の髪をつかむ。
「面白い、ならもし笑えなかったら、せっかく整えた髪も服も意味がなくなるぞ。」
その美しい金髪を指に絡ませながらの男の言葉に、女は笑った。
「その前に、まずは少し質問してもよろしいでしょうか?」
さっさとしろ、と男は目で促す。
「私が、皇帝、貴方のことをどう思ってるのか、ご存知ですか?」
「ああ。」
「あら、もうちょっと悩んでほしかったのですけど。」と、わざとらしいほど、女はさも残念そうに笑いながら言った。
「では、どう思ってるとお考えなのですか?」
「憎み、哀れみ、蔑んでいるんだろう?」
「そう見えましたか?」
「ああ、どんなにわしを想っているような行動をしていても、どこかそう、反抗的な心を持っているように見えた。・・・復讐心をな。」
このときふと、もし本当に隠すつもりであれば、この女ならもっとうまく隠せたのではないか、と男は思った。だがそれは前にも何度も思っていた疑問。そうやって完全に隠さずにいることすら、復讐の一環なのかもしれない、とも同時に思っていた。
「あら、そうお気づきであったのですね、嬉しいことですわ。」本当に嬉しそうに女は言う。
その様子に少し苛立ち、手にしていた金髪ごと女を傍に引き寄せ、今度は男が訊ねる。
「何故その心をあらわにしないのだ?そして隠すなら、何故もっとうまく隠さない?」
「隠せない馬鹿者だとは思いませんの?」
「悪いがそこまでお前を過小評価をする気はないな。」
「嬉しいお言葉ですわ。でもとても簡単なことです。」先程より近づいた体を、女は更に寄せて笑う。
「だって、気づいて頂けないのも寂しいじゃないですか。」
男はあきれた。そして、話が脱線しそうなことに気づき、女の髪を振りほどき、話の方向を戻す。
「それで、それがどうしたというのだ?」男の、その少し苛立ちながら話す口調を楽しんでるように、女は和らいだ表情で答える。
「ええ、では何故、私がメディオンを産むことを決意したと思います?」
また質問か、本題からずれている、と男は思う。だがもう、腹を立てる気力も失せていた。
「恋人の子かもしれないと思ったのだろう?」どうでもよさそうに、机の上のカップを見ながら男は答える。
「いいえ、貴方の子だとわかってましたわ。」男のその様子を気にせずに女は解答していく。
「だって私・・・貴方以外の殿方を知りませんもの。」
男は思わず目を見開き女の方を見る。女は続ける。
「そこまで驚かれることではないでしょう?私を初めて抱いたのが貴方なのは、貴方自身だってご存知のはずですわ。」と、女は苦笑した。そんなことはわかっている、と思いながら男は言う。
「だがその後、あの男を呼んで泊まらせただろう。あのとき・・・」
「あの時、彼は私に触れもしませんでした。貴方への恐れか、汚れた私への嫌悪か、・・・両方かもしれませんが、それはもうわかりません。」男の言葉をさえぎり、女は冷たい表情で言った。そして、その表情を緩めて、続ける。
「もう、私が最後に伝えたかったことがおわかりですか?・・・信じていただけるかどうかはわかりませんが。
「貴方のことを もちろん憎んで、・・・そして同時に、愛していました。」
「言葉にできるような理由などありませんし、正直、自分でも理解できませんけれど。」
「でもそれを、ずっと貴方に隠し続けて、最後の最後に告げる、それが・・・
「私の、貴方への復讐です。」
男は目を見開いたまま、女を見ていた。しかし驚きの表情は次の瞬間には消え、吹き出していた。
「あら笑わないで頂けます?本気でしたのに」そういう女も、笑顔だった。
男は笑いながら、次の句をつげようとするが、女がそれを制して言う。
「感想はいりませんわ。だって、下手に本音を聞いて落胆するより、勝手に自分で答えを想像して、ずっと勝った気でいたいですもの。」そう言って女は後ろを向き、部屋の出入り口の方へ進み、扉を開ける。
「馬鹿だな」男は苦笑しながら言った。
「ええ、今気づかれました?」女は扉の向こう側に立って振り返り、言った。
「・・・いや」
男のその返事に、女は嬉しそうに笑って、そのまま扉を閉めた。
一人になった男は、改めて先ほどのやりとりを思い出していた。
わしの子だとわかっていて産んだ?
愛してない奴の子は産まない?
わしを愛していた?それを隠していた?
本当に、まさに理解できない、全く信じられない、
・・・本当は愛していただと?本気なのか?
数秒、頭に浮かんだことをもう一人の自分が客観的に見返し、男は面白くなって笑い出した。
「・・・なるほど、な。」笑いながら、ため息をつく。
要は、それが真実かどうかなどは問題ではない。
自分をここまで悩ませうろたえさせる、それこそが彼女の意図するところで、
本気だろうと偽りだろうと、それには何の支障もないのだ。
――わしを・・・ここまで動揺させるとは・・・やりおるわ。
自分もまだまだ、青いじゃないか。と、男は苦笑し、先ほどのカップにまた口をつけ、飲干した。
失ったものは、余計にその存在が大きく見える。だからだろうか、男には女が、今まで以上に尚更面白い存在に思えていた。
「フィデリティ、いるか。」空になったカップを机に置くと同時に、男はどこかに控えているだろう騎士を呼んだ。
その声に、間を置かず部屋に現れた老騎士はすぐさま返答した。
「お呼びですか、皇帝陛下。」
「レインブラッドを呼べ。そして伝えろ。
『北の遠征部隊の進軍を止めろ、皆殺しでもかまわん』と。」
その言葉に騎士は驚き、進言する。
「恐れながら、メディオン王子、及びイザベラ様のことは・・・」
「聞こえなかったか、かまわん、と。」全く表情を緩めずに、男は言い放った。
「はっ、仰せつかりました。ではすぐにも。失礼致します。」そう言って騎士はその場を離れた。
また一人になった男は、空のカップを見つめながら物思いにふける。
可愛い我が子が殺されても、彼女はあんな戯言を吐けるのだろうか。
もう会うこともないだろうが。
だが、女自身を殺す気にはなれない。死んでもらってはつまらない。
こんな行動も、彼女には見透かされているのかもしれない。
こうやって遠征の邪魔をすることは、ただ奴らの経験を増やすだけかもしれない。
だが、表舞台から降ろされようとも、自分の役を変える気は毛頭ない。
それに今更、変われはしないのだ。奪わずには、支配せずには生きていけない。
自分はそういう人間なのだ。
何より、彼女が憎み愛しただろう自分は、こういう人間なのだから。
・・・こんな風に、これからも時折思い出して悩むのだろう。
彼女の台詞が、どこまで本当だったのかを。
まったく・・・厄介なものだ。
(了) |