歪んだ君に花束を


「夜分遅くに失礼致します。もうお休みでしょうか?」
 女の声が聞こえた。苦い茶を飲みつつ、もう少ししたら眠ろうと考えていた男は、扉の外からふいに聞こえたその声を一瞬空耳かと思った。部屋の中の灯りは一つ、中央にある机の上の小さいランプが点いているだけで薄暗い。その机と組の椅子に腰掛けたまま、扉の方を見つめるだけで男は返事をしなかった。先ほどの声には聞き覚えがあり、もし思い当たるその者ならば、おそらく返事がなくとも入ってくるだろう、と、自らの見事にたくわえた髭をいじりながら反応を待った。
「ご無礼を承知の上、失礼させて頂きます。」
 同じ声が聞こえ、扉が開く。すべては男が予想したどおりだった。長く美しい金の糸が、ランプの光を反射し、少し鈍く輝く。真昼中なら まぶしいほどに光るだろうその髪をなびかせ、部屋に足を踏み入れる。その何でもない動きすらどこか優美だった。だがそんなことを気にせぬような顔で見つめ続ける男に、女は微笑みかけた。男は眉一つ動かさずに言った。
「いったい何の用だ、メリンダ。」


「もう貴方にお会いできるのは最後かもしれないと思いまして。」女は机の側で立ちどまり、男の問いにそう答えた。
「最後か・・・そうだな、そうかもしれん。お前はこのままこの共和国に亡命し、わしはメディオンの手で帝国に連れ返されるのだからな。」
「亡命はベネトレイム様のご厚意のお言葉で、実際にできるかどうかはわかりませんわ。もちろん・・・もう帝国へは戻れない以上、それに甘えるしかありませんが。」
「・・・ようやく、このドミネートから逃れられるというわけだ。今度は共和国王の女か、立派なものだな。」男は皮肉たっぷりの、嫌味な笑顔で女を見る。だが女はそれを気にもせず、冷静な笑顔で言葉を返す。
「ベネトレイム様は貴方とは違うと思いますけれど。」
「何を言う・・・あやつがそんなに優しいものか。目的のためには、どんな親しい者でも騙す。コムラードも譲る奴を間違えたものだ。」
「共和国の中央会議の選挙で選ばれた方でしょう。例え貴方のおっしゃることが本当でも、複数の方から推されて王になった方です。・・・貴方とは違いますわ。」
「ああ、あんな奴らと、同じだと思われたくもないわ。」少しすねたような調子で返す。
「そうでしょうね。」女は案の定、というように、小さく笑った。
「ベネトレイムに求婚されたら?」
「もちろん断りますわ。これ以上疲れたくないですもの。」
「拒否権がなかったとしたら・・・わしのときのように。」
「・・・それはないと思いますが、でも、そうですね・・・
もしそうなれば、おそらく同じようにお傍には仕えることになるでしょうね。」
「面白い。同じように子も作って産むか。帝国と共和国、両方で。ふはははは!」
男は豪快に、下品に笑った。上がった口の両端につられ髭が揺れる。その反応に女はあきれたような顔をし、だが真面目に言葉を返す。
「この年ですし、もう子を産むつもりはありません。それも・・・
「愛してもない人の子どもなら尚更ですわ。」
一息の間を置いてのこの台詞に、男は思わず絶句し、しかしすぐに笑い出した。
女はその様子を見て、苦笑する。
「笑われるとは思いましたけど、そこまでとは思いませんでしたわ。」
その台詞を聞いても男の笑いは止まらなかった。そして笑いながら、女の方を見て楽しそうに言った。
「メディオンで懲りたか。」
「いいえ。」女は即答する。「ただ・・・あの子には、余計な苦労をたくさん背負わしてしまってます。それは・・・悲しいですけれど。」ほとんど笑顔のままだった女が、初めて少し寂しそうな顔をした。その様子を面白そうに見つめ、男は続ける。
「正直に言えばいい。わしとあの男、どちらの子なのかわからなかったんだろう?だから産んだ。死んでしまったあの男の忘れ形見になるかもしれない、と。
「だが残念だったな。あの目。あれはわしの子だ。初めてあやつを見たとき、あまりに見覚えのある目つきに、わしは大笑いしてしまったぞ。」
「ええ、存じてます。つい先程のものより、更に豪快でしたわね。」
「そういえばお前もいっしょにいたか。そう、あまりに可笑しくてな。微かな期待をよせて産んだ子が、自分を犯し恋人を死においやった男と同じ目つきで、あの瞳を見るたびわしを思い出していただろうお前を、想像するだけで面白い。」
「光栄ですわ。」
笑顔でそう言いのけた女に、男は少し驚くが、しかし彼女からそれくらいの驚きを与えられるのは男にとっていつものことだった。
「昔から・・・お前は変わらん。可笑しな奴だな。」言葉とは裏腹の真顔で男は言った。それとは対照的に女は笑顔のままで返す。
「貴方も、お変わりありませんね。」


「・・・いったい、何が言いたくてここへ来たのだ?」今まで疑問に思っていたことを男は切り出した。
「これで最後・・・と、今までの恨み言をいいに来たのかと思ったが・・・違うようだな。」
男のその言葉に、女はすました顔で答える。
「少し近いですけど・・・恨み言ではありませんわ。ただ最後に、どうしてもお伝えしておきたいことがあって。」
そう言いながら、女は部屋の奥の寝台の方へ進む。
「ここ、座ってよろしいでしょうか。」少しかがみこみ、シーツに手をのせて言う。
「それは誘っているのか」男は無表情で尋ねる。
「ええ。」ふっと笑いながら女は答えた。
「最初から、そういうつもりだったのですけど。つい話し込んでしまいましたわね。」
「わしを殺す気か。」威圧的な目で女をにらむ。だが女はひるむことなく笑顔で即答した。
「いいえ、最後のお情けを頂きにきただけですわ。」
だからその際に油断させて殺すのか、という意味も含めて男は言ったのだが、たぶん女はそれがわかった上での応答だろう、と更に思い直す。
 昔から、従順なようでいて、隙のない、つかめない女だった。ただ、女が憎みと哀れみの混じった感情で、自分を蔑んでいるだろうことは知っていた。この女は、それで自分に復讐しているつもりなのだ。どんなに自分の期待に応えた態度をとっていようと、それは嘘なのだ、と、わざと感じさせるような行動をときどきとる。
だが、男は別にそれが悲しくはなかった。自分に対して愛がないのは当然のことで、むしろ、愛がある奴など相手にしたくなかったのだ。


男は椅子から立ち上がり、女の座る寝台へ向かった。自分に差し出された手を完全に無視して女の頭を掴み、強引に引き寄せ口付ける。行き場を失った女の手は、それにかまわず男の着衣を緩め始めていた。
 もう20年あまり、数えられない程に味わった体。さすがに飽きかけていたはずだが、最後かと思うとなかなか魅力的に思えた。


 自分がこの女に手をつけたのは、ただの気まぐれだった。造船所を見学しているときに、ひときわ若くて美人だった女はすぐに目に付いた。どう見ても15、6。聞けば倒れて療養中の父親の代わりに働いているとのこと。そんな境遇はどうでもよかったが、誘いやすいと感じたのも確かだ。貴族女はもうあきた。何にも知らない、純朴な少女を貶めるのも愉快だろう、と彼女を隠れ家がわりの屋敷に誘った。もちろん、女に拒否権はなかった。
 だが正直、想像したほど楽しいものではなかった。抵抗されるのは予想していたものの、女は外見とは裏腹に、普通の女よりも体力がありあまっていた。そのせいでなかなか大人しくさせることができず、意地になって数日間を共に過ごした。最後の最後まで全く楽しめない反応をする女に腹を立て、自分が帰るときに、女の恋人を呼び出しそこに泊まらせた。汚れた自分の姿を恋人にさらされる女、他の奴に汚された恋人を目の当たりにする男、なかなか楽しい状況になりそうだと思ったからだ。
 数日後、女の恋人は自殺したらしい。皇帝の手のついた女に絶望したのだろう。少し気が済んだ。

 そのまま、その女のことはしばらく忘れていた。直後に起こった共和国の独立戦争への対応に忙しく、そしてその後は気に入った修道女と、その娘の方に興味がいっていた。だから女が身ごもり、子を産んでいたという話は数年経ってから知った。興味半分で見に行った女の子ども。冷たい青い瞳が自分にそっくりで・・・笑えた。

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