ナルマヨ日和づくし/top

《ナルマヨ日和》 お題 「デスク」

■前置き■→ なるほどくん視点で、1-4のエンディング後、
つまり真宵ちゃんが事務所を去ってしまった後の頃の話です。
あまり恋愛ごととかではないといえばなく……というか
大部分が暗いです。泣いちゃうなるほどくんですみません。


 DL6号事件が時効ギリギリで解決してすぐ、真宵ちゃんは倉院の里に帰って行った。それからは毎日、ぼくは事務所に一人で過ごすようになった。

 といっても、まだ数日しか経ってないのだけど。

 初日はまだよかった。例えば、風邪かなにかの急病でいきなり仕事に来れなくなってしまうなんてこと、人生にたまにはあることだ。だから、たまたま急に助手が一人休みになった、ただそういう風にも思えたからだ。
 だけどそうではないことが、だんだんと実感されてくる。つい数日前までにぎやかだった事務所の中。一人になってしまうと、こんなにも静かになってしまうものなんだ、と愕然とした。

 朝、事務所を開ける準備を終えて、でもまだ扉は開けずに、デスクに向かってみる。
 だけど何もやる気がしない。
 そもそも始業時間までまだあるし、と、昼食用に買っていたものでも軽く食べようかと、机に載せていたコンビニ袋からパンを取り出す。ついクセで買ってしまったトノサマンのパンを見て、自分で買ったくせに顔をしかめてしまう。
 “トノサマンスペシャルサンド”。それは、パンと一緒にスペシャルシールも同梱されていて、そのシール欲しさに買い続ける真宵ちゃんのせいで、ぼく自身もたびたび買わされたものだ。でも正直なところ、あまり美味しくない。いかにも子供だましという風の甘いばかりのクリームサンドで、捨てたいほどまずいわけでもないけど、何度も食べ続けたいほどでもなかった。真宵ちゃんがいなくなった今、もう無理に買う必要も食べる必要もないのかと思うとホッとした。これで最後だと思って袋を破り、その中身を口にほおばる。
 やっぱり相変わらずの味だ。そう思いながら行儀悪く投げやりに食べていると、デスク周辺にパンくずが広がり、シールの入った内袋が放り出される。デスクの脇、下方にある袖机の方まで飛ばされたそれを、パンをくわえたまま拾って、袋を破る。
 妙にキラキラしたトノサマンがポーズを決めているシールが入っていた。トノサマンにそこまで詳しくないぼくでも、この背後の特殊なキラキラ具合でこれがかなりスペシャルなシールであることが推測できてしまう。
「今頃、スペシャルだかが当たってもなあ……」
 そうつぶやいたせいで机に無残に落ちたパンと、自分の声が事務所中に妙に響き渡ったことに、尚更虚しい気分になっていく。とりあえず、一応どこかにしまっておくか、と引き出しを開ける。そのついでに周りをよく見回すと、改めて気がついたことがあった。今ぼくがパンくずを散らかしたところ以外は、数日前より確実に片付いていて、しかもきれいだった。
 真宵ちゃんがやっていってくれたんだな、と思う。そういえば彼女もこのデスクを大切にしていた。そしてときには、ぼくよりもよっぽどこのデスク周りに詳しかった。以前だって。

「真宵ちゃん、買い出し行くならクリップも頼むよ。普通の小さいのじゃなくてあの、
 …なんだっけ、とにかくぶっとい書類挟める方の、でっかいヤツ」
「あれ? それならたしか、袖机の下の段の奥辺りにまだあるんじゃない?」
「え、そうなの? となると、この辺かな…」
「うん、たぶん。……あっ、違う。もしかしたら下から2段目かも!」
「……お! あったあった。ありがとう真宵ちゃん」
「へへっ、どういたしまして!」
 そんなことが、何度かあった。まあ、そもそも千尋さんのデスクだったわけだし、千尋さんの私物を片付けたのも彼女なのだから、彼女の方が中身に詳しいのは当然といえば当然なわけだけど。
 ときどき、妙に申し訳ないような気持ちになった。本当にぼくがここに座っていていいのかと。
 真宵ちゃんは、ぼくがこの事務所に入る前から何度も遊びに来たり、証拠品を預かったり、少しでもできそうなことがあれば、千尋さんを手伝っていたらしい。そういう話を聞いてしまうと、事務所で過ごした時間そのものはぼくの方が多いだろうけど、それでもこの事務所のことをちゃんと知っているのは、より深くここに愛着があるのは、もしかしたら彼女の方なんじゃないかと思う。そして何より、千尋さん自身だ。
 そう思うと、彼女たちの大切な場所に、ぼくの名前を掲げてぼくが一番に居座るのはどうかと、思わないこともない。
 一度だけそれとなく、真宵ちゃんに尋ねてみたことがある。
 だけどあまりにも簡単に一蹴されて、拍子抜けしまった。
「なに言っちゃってんの、なるほどくん。
 お姉ちゃんが作った、あたしたち姉妹の大事な場所が、
 たとえ名前変わったって、そのまま大事に使い続けられていくんだよ?
 お姉ちゃん、喜んでるに決まってるじゃない」
 女の人や女の子って、ときどき妙に強いよな、と思う。
 悩んでいたことを、あっさり見当違いだと否定されて。その上そんな重大なこと、そんな笑顔で言われてしまったら。
 男としては、責任重大だな。そう思って、ぼくはそのとき、思わず苦笑してしまった。
 そうだ、だからぼくは、頑張らないといけないのに。


 デスクの電話が鳴る。よく見るともう始業時刻になっていた。
“3回以内にとるのよ、なるほどくん。”
 そう教わっているはずなのに、いや、いたからか、ちょっと手を伸ばせば取れる距離の電話を、3回たっぷり待ってから出る。
『お世話になっております。ワタクシ週刊早朝の記者、ジンシンジと申しますが、DL6号事件を解決したという、あの成歩堂龍一弁護士はいらっしゃいますか?』
「いらっしゃいません。」
 ぜひ取材を…と続く言葉を間違った敬語で遮って、そのまま受話器を元の位置に戻す。するともう一度電話がかかってきた。またたっぷり3回待って受話器を上げる。
『そちら成歩堂法律事務所ですか? 弁護をお願いしたいのですが…』
「申し訳ございません、あいにくですが、ただいま弁護依頼は受け付けておりません」
『は?』
「お困りでしたら、星影法律事務所の番号をお教えしますので、そちらにお願いします」
『はぁ……』
 更に電話がなる。今度もたっぷり3回待って、だけどもう面倒になって、今度は留守電のボタンを押す。事務的な自分の声が聞こえる。ああ、今度はまた雑誌の取材依頼みたいだ。それなら断ればいいだけだからまだ気楽だな、と思う。
 そんな、自分の今の状況を冷静に見つめ返して、大きなため息をつく。そうして背もたれに大きく体を預ける。
「何やってるんだ、ぼくは……」
 その自分の呟きが、やっぱり事務所内に虚しく響いて。ぼくは目を閉じ、更に大きなため息をついた。


 真宵ちゃんが里へ帰ってしまってからのここ数日、実はぼくは、まったくまともに仕事をしていない。
 長年謎を抱えていた事件を、時効寸前で華々しく解決した弁護士。と広まったおかげで弁護の依頼だけでなく取材の依頼とかまで来ているけれど、なんだか何もする気になれなかった。大きな事件を解決した後の虚脱感、といえなくもないけれど。それだけじゃなく、今までの疲れがどっときてしまったような気がする。
 今までの、……そう、……千尋さんが、亡くなってから、今までの。
 一人で事務所にいることが、こんなに不自然なことだなんて、今まで気づかなかった。気づかないでいられたのに。

 千尋さんの事件のとき、もし真宵ちゃんが千尋さんに呼び出されていなかったら、そして彼女が被告になることがなければ、彼女が助手になることもなかったかもしれない。
 まあ、それだとそもそも、今頃はぼくが刑務所の中にいたかもしれないけれど。
 だけどもし一人でも無事に事件を解決できたとして、それでも。
 最初からぼく一人だったら、今、こうしていられただろうか。
 真宵ちゃん、そして彼女の呼び出す千尋さんの後押しがなくして“成歩堂法律事務所”なんて。いきなり自分の事務所だなんてそんなだいそれたこと、やっていこうと、そんな風に思えただろうか。

 そんなわけない、とぼくは首を振る。

 真宵ちゃんがいたおかげで、もう一度千尋さんに会うことができた。
 その千尋さんの調べた事実のおかげで、ぼくらは無事無罪になれた。
 真宵ちゃんがいたからこそ、“成歩堂法律事務所”がはじめられた。
 千尋さんがいたからこそ、解決できたこともたくさんあった。
 真宵ちゃんがいたからこそ、DL6号事件の法廷も最後まで続けられた。
 
 彼女がいたからこそ、千尋さんの不在を、その痛みと悲しみを、和らげることができた。

 それは彼女にとってもそうだったと思う。ぼくとこの事務所があったからこそ、だったんじゃないかって。きっとお互い、お互いの存在に救われていたはずだ。

 それでも、彼女はひとりで前へ進むために、帰っていってしまった。
 だからぼくは、それを応援してあげなきゃいけないのに。そのためにも、ぼくは頑張らないといけないのに。
 そう思っているはずの頭は、そんな風にうまく動かせない。真宵ちゃんがいた頃の、楽しかったくだらない話ばかりが、脳裏をよぎっていく。


 夕暮れ時、仕事ももう少しで一段落というところで、たわいもない世間話がはじまった。まぶしい夕日にぼくは目を細めながら、トノサマンについて熱く語り続けていた真宵ちゃんに、たまにはせめて話を変えてもらおうかと問いかけてみる。
「真宵ちゃんがトノサマン好きなのはよくわかったけど、他には?
 トノサマンにはまる前とか、どうしてたわけ?」
「トノサマンの前? そうなると……《忍者ルンジャ》かな。
 “ルンバとジャズの魅力に揺れ動く一匹狼の忍!”
 ……だったんだけど……まあ、つまんなくはなかったよ?
 すぐ踊って歌って。それはそれでノリよくて楽しかったんだけど、
 そこまであたしの血肉は沸き踊らなかったというか……
 だから、その後見たトノサマンが、ほんと衝撃的だったんだよ!
 熱く戦うトノサマンがもう、感動でさ…!」
「……つまり、結局トノサマンに繋がるんだな」
 あきれるぼくに、真宵ちゃんは不思議そうな顔になる。
「あれ、違った? そうだねえ……他となると…
 あとは《おまじない》かな? クラス中ではやってたよ」
「へえ。一気に女の子っぽくなったね」
「そりゃ、トーゼン! 女の子だからね」
 自慢げにいうことじゃないし、と心でツッコミながら、ぼくは更に尋ねる。
「真宵ちゃんもやってたの? その、《おまじない》」
「うーん、あんまりココロひかれるのは少なかったけど、
 一つだけお気に入りのがあって、何度かやったことあるよ」
「へえ……」
 ぼくからしたら、おまじないなんて、昔同級生に見せてもらった本を読んだときから『意味不明すぎる』『あり得ない』……というイメージで、大嘘もいいところだと思っていた。そんなインチキにしか思えないものなのに、女の子は好きだねー、と、正直いってちょっとバカにしたような気持ちになる。
 そんなぼくをよそに、真宵ちゃんは大事な思い出を話すように、柔らかい表情で説明してくれた。
「《大好きな人への願いが叶うおまじない》なんだけどね。
 その人の身の回りのものにお願い事を書いて、
 それが本人に気付かれないまま、そして消えないまま
 ずっと使い続けてもらえていれば、願いがかなうんだって。
 その期間が長ければ長いほどいいの。もしくは自然に消える分には問題なし。
 友達はね、消ゴムケースに隠れた部分に見事書いてたよ。
 ……まあ、すぐ本人にバレちゃってたけど。
 あとは…机の裏とかもはやったね! 放課後にこう、コッソリと…」
「……それ、目撃されたらかなり不審だよね」
 思いっきり『やっぱりあり得ない。』という顔をして返答したぼくに、真宵ちゃん自身もあきれたような顔で返す。
「わかってないなあ、なるほどくん。
 《おまじない》ってのはね、えてしてそういうものだよ」
「わかった風に言われたな。……ちなみに、真宵ちゃんって信じてるの?
 そういう、《おまじない》とか、本物だって」
「あんまり」
「なんだよ。じゃあなんで…」
「でもね。たしかにクラスの皆ほど夢中にはなれなかったから、
 あたしはそんなにやらなかったけど……。
 ……だけど、ちょっとは信じてるよ」
「そうなんだ」
「うん」
 そう返事した真宵ちゃんの顔がかげる。ちょうど夕暮れ時の世間話だったから、窓から夕日が差し込んでまぶしかったり、それがときどきビルの陰になってさえぎられたり。そんな明暗がさっきから繰り返されていた。
 そのせいで真宵ちゃんのいる場所は今は薄暗く、だからかたった数秒だったはずの彼女の沈黙が、妙に重く感じられた。彼女が再び口を開く。
「…《霊媒》だって《まじない》みたいなもんでしょ」
「……『みたい』、どころじゃないと思うよ」
 重く感じた沈黙の後にしては、当然のように思えた内容に、ぼくは少し安心して軽くつっこんでみる。彼女の負う《霊媒》への重責が、ぼくにはまるでわからなかったから。
 そんなぼくの言葉に彼女は明るく、でもいつもより静かな声で、うなづく。
「うん。そうでしょ。……だから、
 ああいう《おまじない》にも、ちょっとは効果があるって思ってるよ。
 少なくとも、そう願うことが、叶うと信じて願うことが、
 なにかの力を与えてくれるんじゃないかなって。
 ……あたしは、そう信じてる。」
 そう言った真宵ちゃんの笑顔を、それまでビルの陰になっていた夕日がひときわまぶしく照らし出す。大事な思いをこめて語られた言葉も、夕日を浴びたその笑顔も、いつもより少し大人びて見えて。……正直、ちょっと綺麗だった。
 だからぼくは、おまじないを単純にバカにしていた気持ちを、申し訳なく思ったりした。
 たしかに、強い願いや祈りがあることで力になる、そんなことはいくらでもあるだろうから。ぼくだって15年間、願い続けたものがあった。そういう思いの力になるなら、おまじないのすべてを否定するのも浅はかだったかな、なんて、そう素直に思ったんだ。


 その日の会話を思い出したぼくは、ふと、今更ながら「もしかして」と、とあることに気づく。手に持っていた、味に飽きてしばらく放置したせいでまだ食べ終わってなかったパンをまた机に置いて、椅子を降りる。そのまましゃがんで、机の下に潜り込んだ。

“一つだけお気に入りのがあって、何度かやったことあるよ、《おまじない》”
“《大好きな人への願いがかなうおまじない》でね。”
“その人の身の回りのものにお願い事を書いて”
“ずっと使い続けてもらえていれば、願いがかなうんだって。”
“机の裏とかもはやったね! こう、コッソリと…”

 真宵ちゃんの《大好きな人》なんて、ぼくは一人しか知らない。
 だから、きっとあるはずだ。そういう確信を持って、ぼくはそれを探す。

 ……だけど、机の裏は、特になにもなかった。むしろ、綺麗に磨かれていた。
 ぼくはため息をつく。そういえば真宵ちゃん、言ってたっけ。
“あたしがいる間はあたしが、デスク周りの掃除は綺麗にやっとくからね!”
 ぼくが頻繁にデスク周りを、特にもとから自分の机だった方も含めると遠慮なく散らかすものだから、真宵ちゃんはそうやって、高らかに宣言していたものだ。その言葉どおりに、里に帰る前には、尚更丁寧に掃除を済ませちゃっているようだった。
 だからたとえ、おまじないをしていたにしても、その痕跡が残ってるとも限らない。
 まあ、そもそもおまじないをしていたかどうかも、わからないんだけど。
 慌てて机の下にまでもぐりこんだ自分を笑ってしまう。体の力が抜けると机の角に頭をぶつけてしまい、床の上で声にならない悲鳴をあげてもがく。
 ほんとに、何やってるんだろう、ぼくは。

 なんだか、疲れたな。そう思いながら机の下から這い出て、椅子に腰掛け直す。微妙に残っているパンをまたかじりはじめると、また留守電対応の声が聞こえて、電話は録音をし始めていた。
 その音に辟易したぼくは、デスクの引き出しを一つ一つ開けはじめた。たしかどこかに、まとめて電子機器の説明書を入れていたはずだ。留守電の言葉を、「ピーという発信音の後にご用件を」ではなく「おかけ直しください。」もしくは「ただいまお休み中です」と変えて用件の録音も止めることを検討しなければと思い、電話の説明書を探していた。
 ここかなと検討をつけていた袖机の引き出しを全部開けたけれど、ちっとも見つからない。残る引き出しは、机についてるものの座ったこの位置から一番遠い場所にある、少し開けにくい引き出しだった。ぼくは椅子ごと少し移動して、その引き出しを開ける。
 あったあった。と、言葉を口に出したわけでもないのに、つい口が開いてしまった口元から、パンがこぼれて引き出しの中に転がる。慌てて拾ってまるごと口に放り込むものの、パンくずは広がったままだった。
 しかたないな。と口をもごもごさせながら、引き出しの中身を、もとあった場所にパンくずをはらいつつ取り出し、机の上に置く。そうして、パンくずだけが残った引き出しを目一杯開いて、上下に揺すった。たしかこうすれば机からはずせたはずだ。口の中のパンを飲み込み終わると同時に、予想通りに引き出しは机からはずれた。それをそのまま、そばのゴミ箱の上でひっくり返す。これで一気にパンくずはクズカゴの中だ。

 だけどそのとき、なにか文章らしきものが目に入った。
 ぼくは目を見開き、動きを止める。そのまま引き出しの裏側を、じっくりと見つめる。

 そこには数箇所に、マジックで何行かの言葉がかかれていた。やけにかすれているものもあれば、真新しく見えるものまで。それは可愛いまるっこい字と、達筆で綺麗な字。
 ぼくはその字を知っていた。
 まぎれもなく、真宵ちゃんと、そして千尋さんの筆跡だった。

“独立おめでとう! よっ所長!
 頑張って、ますます名弁護士になってね、お姉ちゃん!”

“ありがとう 頑張るわ”

 たぶん、千尋さんが事務所を立ち上げてすぐの頃だろう。日も当たらないし、たまにしか動かさない引き出しだから、ずいぶんと長持ちしていそうだった。それでもその文字は両方とも、それなりに色あせてかすれた状態だ。真宵ちゃんの字も千尋さんの字も、そのかすれ具合はあまり変わらないくらいに見える。
(残念、真宵ちゃん。気づかれちゃってたみたいだね。)
 たしか“本人に気付かれないまま。その期間が長ければ長いほど”という条件もあったはずだから、ぼくはそんな風に思った。まあ、もしかしたら、千尋さんが気づいたのは1年くらい経ってたかもしれないよね。と、せめてなるべく長い間だったことを願ってしまう。きっと、文字が消えずに残っているかどうかを定期的にチェックしてたんだろうな、なんて想像すると、ある日千尋さんの返事を見つけちゃったときの真宵ちゃんの衝撃が予想できて、ちょっと可笑しかった。

(やっぱり真宵ちゃん、千尋さんのために《おまじない》をしてたんだな)
 自分の予想が当たっていて嬉しいのと、そのやりとりに微笑ましい気持ちになって、ぼくは自然と顔が緩む。こんな風に暖かい気持ちになるのは、久しぶりな気がした。

 そうして、ようやく、少し離れたところの文字に目を移す。
 真っ先に自分の名前が目に入って、ぼくはもう一度、目を見開く。息が、詰まった。

“なるほどくんも頑張ってね!
 お姉ちゃんが言ってたとおりの天才名弁護士になれますように。
 あたしも、たぶんお姉ちゃんも。ずっと、そう願ってます。”

 それはやっぱり真宵ちゃんの字だった。だけどさっきのとは違って、かなり濃い、真新しいものだった。ぼくはそれを、まばたきを忘れて見つめ続ける。

 いつの間に、これを書いたんだろう。
“あたしがいる間はあたしが、、デスク周りの掃除は綺麗にやっとくからね!”
 それは本当に、ぼくが片付けられないから、だけだったのか。
“《大好きな人への願いがかなうおまじない》でね。”
 ぼくのことも、千尋さんと同じくらいに大事に思ってくれていたんだろうか。
“《おまじない》、そんなにやらなかったけど……。……だけど、ちょっとは信じてるよ ”
 こみあげてくるたくさんの感情に、にじんでぼやけていく視界に、あの日の真宵ちゃんの笑顔が浮かぶ。
“叶うと信じて願うことが、なにかの力を与えてくれるんじゃないかなって。”
“……あたしは、そう信じてる。”

 それは夕日をあびて、いつもよりも大人びた、とても綺麗な言葉と笑顔。

 泣きそうに胸が詰まる。歯をくいしばってこらえるけれど呼吸がうまくできなくて苦しい。
 どうしてこんな、どうして今更。
 ……こんなにも、胸が苦しいんだ。

「真宵ちゃん……」
 呼んでみても、返事があるわけはなかった。今はもう、そばに彼女はいないのだから。
 だけどそう声を出したことで、ずっとこらえていた涙があふれ出る。ダメだって、コドモじゃないんだからって、自分にいいきかせて抑えようとしたけれど、無理だった。だからせめて、誰もいないけれど声を殺した。嗚咽だけでも必死で抑えた。それでもやっぱり、どうしても涙は止まらなかった。
 千尋さんに助けられたあのときから、もう泣くもんか、そう決心していたのに。
 だから、千尋さんが死んでしまったときも、こんなには泣かなかった。それがいいか悪いかもわからなかったけど、だけど泣いてる場合でもなかった。千尋さんが残したものを守りたかった。事務所だけじゃない。驚きのあまり、まさかこの子がと疑ってしまった千尋さんの妹を、真宵ちゃんを、守らないといけないと思った。真宵ちゃんが、彼女がいてくれたから、悲しんでばかりもいられないと思えた。

「真宵ちゃん……」
 引き出しに頭を突っ伏したまま、返事がないとわかっているのにもう一度彼女の名前を呼ぶ。

 きみがいたから、千尋さんは、自分で追い続けた仇が討てたんだ。
 きみがいたから、トノサマンのことだって詳しくなっちゃったし。
 きみがいたから、あのとき御剣を助けることもできた。
 いつだって、きみがいなければ…

 きっと、ぼくのこんな気持ちを彼女が聞いたら、またあまりにもあっさり、一蹴するんだろうなと思う。

“なに言っちゃってんの、なるほどくん。あたしじゃないよ。
 あたしじゃなくて、なるほどくんがいたからでしょ!”

 そうだね真宵ちゃん。だけど、それも違ってるんだ。
 ぼくだけじゃない、ぼくだけじゃだめだった。
 きみがそばにいたから……ぼくらが、ふたりでいられたから。

 ぼくは今まで、なんとかやってこれたんだ。

 力なく引き出しを机にたてかけると、また電話が鳴り出す。自分の事務的な声にうんざりしていると別の声が聞こえだす。事務所を訪れる人の音だって何度か聞こえてくる。だけど扉は閉めっぱなし、ぼくもここに座りっぱなしで、動けないでいる。 
 いったい、何をやってるんだろう。そう思いながらまた、心の中で彼女に語りかける。

 ……ごめん、真宵ちゃん。
 おまじないは無効だ。こんな早く見つけちゃって。

“なるほどくんも頑張ってね!”

 頑張れないよ。

 ぼくはまだひとりじゃ、ひとりじゃまだ、頑張れないんだ。

 気づくと外は夕焼け空になっていた。でもあの日彼女を照らした夕日よりもかすんで見える。なんでだか、理由はよくわかってる。
 千尋さんだけじゃない、きみまでがいなくなったこの事務所に、いつになったらぼくは慣れるだろう。
 そんな自信、まるでわいてこない。
 ふてぶてしく笑う力も、こんな気持ちを逆転させる力も、わいてくる気がしないんだ。

 呆然と窓を見つめ続けると、いつの間にか涙は止まっていた。ごしごしと無造作に顔を拭いてため息をつく。もう夕方だなんて。今日一日何をしていたんだろう。だけど夕方なら、そりゃお腹も減るはずだ。何度か虚しく鳴っていた自分のお腹を押さえて、そう思う。
 何か食べたい、そう思った途端にまず“みそラーメン”という言葉が頭に浮かんで、それを振り払うように大きく首を振る。そしてゆっくりと立ち上がり、ぼくは開けてもいない事務所で今度は帰り支度を始めた。

           --------------------------------------

 そうしてぼくは、しばらくの間弁護士としての仕事を休むことになった。
 そんなぼくを再び引きずり出したのは、きみたち二人にどこか似ていた姉妹だった。
(……よくよく考えると相当げんきんだな、ぼく)
 そう考えると、自分でも笑えてしまう。だけど、よかったと思う。おかげで今ではもう、ひとりでもなんとか、この事務所を守っていくことができそうだから。

 いつかまた、きみにはきっと会えるときがくる。だから、そのときまでに。
 できるかぎり、きみの願いを叶えたぼくになっていたい。
 そう思って、ぼくは今日も事務所を開ける。二人が大事にしていた場所に、今日も座る。いつだって。きみの願いが叶うように。

“なるほどくんも頑張ってね!”

 デスクに隠された、解けて欲しくない《おまじない》。まるで気づかなかった振りをして。

“あたしも、たぶんお姉ちゃんも。ずっと、そう願ってます。”

 ぼくも一緒に、願うよ。

<end>


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■言い訳コメント■

『デスクといったら、元は千尋さんのデスクだったんだよね…?
 それなら真宵ちゃんの方が詳しいときもあるのかも』
と思いついたら、いろいろ連鎖してこうなりました。

念のため言っておくと、作中の《おまじない》は勝手な捏造です。
でも、「好きな人の名前を消しゴムに書いてそれを誰にも触れさせずに使い切ると想いが叶う」とかはあった気がします。参考にしたのはそれです。

……でもなるほどくん、あまりデスクワークしなさそうですよね。

とか、他ツッコミどころ多数になってそうですみません。
……白状しますと、1を通してやったのはけっこう前、蘇るが出た頃なので…
(1-1、1-2だけ、とかはその後も何度かやりましたが)
つじつま合わない点ありそうですが、気に留めないでいただけるとありがたいです…

そんなこんなで、予定以上にどシリアスになってしまいましたが……少しでも楽しんでいただければ幸いです。

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でも真宵ちゃんがいなくなった当初は、それこそ
同時に千尋さんとも離れたことになって、
尚更寂しいしショックにもなったんじゃないかな、と思います。
真宵ちゃんがいなくなったことで、今まであまり考えずに済んだ
千尋さんへの喪失も一緒に、一気に大きく感じるはめになったのかも、と。

……なんて思ったら、もっと千尋さんに対する感情も掘り下げたくなったんですけどこれ以上長くなってもまとめられないのであきらめました
(もしも「真宵ちゃん>千尋さん」と、大きくそう見えたらすみません…。個人見解では、なるほどくんの千尋さんへの思いはそういうので量れない、恋愛感情ではないけど別格で大事すぎる存在、なイメージです。が、どう表現したらいいやら…)

up<2008/03/08>
<テキスト 2008/02/25>