”負ける”という事

皇櫻架さま






        千尋は、ふと閉じていた瞼を開けた。視界はハッキリしてきたものの、意識は未だにぼぅっとしていた。
      見ると、見慣れない部屋のベッドに寝かされているのに気付く。
      「・・・ココ・・・は・・・」
      小さく呟いて辺りを見渡すが、声が掠れて震えていた。その時ドアが開く音がし、聞き慣れた声が優しく響く。
      「クッ・・・、お目覚めかい?コネコちゃん。」
      「か・・・神乃木・・・先輩・・・?」
      部屋の出入り口で悠然と笑みを浮かべて立っていたのは、彼女の事務所の先輩に当たる神乃木荘龍
      その人だった。神乃木は、トレイに湯気の立つカップを乗せて千尋の元へ向かう。
      「先輩、ココは・・・?」
      「あぁ、心配するな。ココは俺の家だ。」
      「え、でもどうして・・・?」
      カップを受け取りながら、千尋は少しぼぅっとする意識を必死で手繰り寄せた。そして気付いた。自分が、
      何故ココにいるのかを・・・。
      「私、あの時のまま・・・」
      そう。千尋は、裁判所で倒れてそのまま気を失ってしまったのだった。初めての法廷という緊張感から
      解放されたのと、そのあまりにもショックだった裁判の結果に・・・。
      「あぁ、事務所に帰んのも何だったしな。おジィちゃんに連絡入れて、ココに連れてきたってワケだ。」
      「私・・・私に力がなかったばっかりに、尾並田さんはっ・・・!」
      カップを強く握り締め、その双肩は悔しさに打ち震えている。瞳に、一度は涸れたはずの涙が溢れて零れ
      落ちる。膝の上に掛かったままの布団の上に、涙の雫がポタポタと落ちて染みを作る。
      「・・・あれが、アイツの意思だったんだ。憎みきれなかったんだよ。例えそれが、自分から全てを奪って絶望
       のどん底に突き落とした、悪魔のような女でもな・・・。」
      「・・・っふ・・・うっ・・・」
      「だが、まだ終わったわけじゃない。・・・終わらせねぇ・・・!ここからもう一度、5年前の事件を洗い直す
       んだ。必ず、あの女を追い詰められるはずだ。・・・それが俺たち、弁護士の仕事だぜ。」
      泣き崩れる千尋に、神乃木は優しくその涙を拭いながら言う。神乃木の言葉に、千尋は小さく頷く。
      「冷めるぜ。先にそれ、飲んじまいな。」
      神乃木に促され、千尋はそっとカップに口を付ける。優しくて甘い味が、口内いっぱいに広がる。体に残って
      いた倦怠感と疲れを、一気に取り去ってくれるような感じだ。
      「・・・コレ、ココアですか?」
      「あぁ。俺は甘いのは好かねぇから飲まねぇが、温かくて甘いモンは疲れた体を癒してくれる・・・。今日の
       ところは、コレ飲んでさっさと眠っちまいな。行動を起こすのは、明日からでも遅くはねぇさ。」
      「・・・・・・。」
      「尾並田のヤツは、お前に感謝していた。それだけは、覚えておいてやれ。アイツの最後の言葉、覚えてん
       だろ?」
      俯いたまま返事をしない千尋に、神乃木は諭すように優しく言う。
      「・・・・・・。」

                                ”先生・・・ありが・・・と・・・・・・”

      そう言い残して、初めての依頼人は法廷で服毒自殺を図った。自分が信じていたかつての恋人に陥れられた
      のに、それに気付いたのに・・・。なのに、彼は再び恋人を死なせてしまう事を恐れた。

                   ”このままだったら俺・・・またちなみを殺してしまうかも知れない・・・”

      そう言って、彼は毒を飲んだ。・・・毒とわかっていて・・・。
        ・・・最後に見た彼の顔は、信じられないほど安らかだった。それが余計に、彼を助けられなかった千尋の
      心を苛んだ。
      「・・・千尋、もう一度言うぞ。アイツはビンの中身を飲めば死ぬのを知っていた。アイツは、お前に詫びながら、
       感謝しながら死んだんだ。・・・お前に感謝したのも死を選んだのも、全部アイツの意思なんだ。」
      「でもっ、でも私は・・・!」
      何も答えない千尋に、念を押すようにしてもう一度言う。顔を上げた千尋は、まだ納得出来ていないようだった。
      「・・・千尋、勝てなかったのは悪い事じゃねぇ。悪いのは、その失敗を悔いていつまでもそれを引きずって、
       次の行動を起こさねぇ事だ。それが本当に”負ける”ってこった。だから、お前はまだ負けちゃいねぇ。これから
       お前がどうするのかで、それが決まる。」
      「先輩・・・」
      「本当にアイツに報いてやりたいと思ってるなら、明日からもう一度調べ直す事だ。・・・真実を見つけるため
       に・・・な。その代わり、甘えは許さねぇ。いいな?」
      神乃木の言葉に、千尋は涙を流して何度も頷いた。
      「・・・っ、はい・・・!」
      そんな千尋を満足そうに見つめ、神乃木は優しく千尋を抱き寄せて背中をさする。安心したように、千尋は
      再び眠りに就いた。神乃木は、千尋を起こさないようにそっとベッドに横たえた。
      「・・・大丈夫だ。お前は、絶対に立ち直れる。俺が傍にいて、お前を支えてやる。約束だ・・・。」
      そう小さく呟いて、神乃木は眠る千尋の額に軽く口付けて部屋を後にした。彼女が再び目覚めるのは、
      もう少し後の事・・・。いつもの日常が慌しく始まる、その時まで。


<END>





あ〜・・・3の4話の後の話ですね。『全て終わるまで泣いちゃダメ』って、結構辛いんですよね。なので、神乃木さんにはちょっと千尋さんを甘やかしてもらいましたw
あ、ちなみに苦情は受け付けませんのであしからず(殴




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